全ては完璧であるという事が腑に落ちる|なぜ自分はこんなに不幸なのかと考えてしまう人へ

essay

こんにちは。千田紗知子です。

暖かかったり、寒かったり、12月と言う感じがしませんが

もうそろそろ今年も終わりそうですね。

環境の変化に伴い、年越しのスタイルも変わっていきますが、

それを楽しんでいきたいと思います^^

全てはすでに完璧であるという前提

引き寄せの法則や潜在意識について独学で勉強している中で

「すべては完璧である」という事に気が付く

というものがります。

インナーチャイルドやマインドブロックは

幼いころの親との関係により作られることが多いです。

しかしこの「すべては完璧である」という考え方からすると、

親との関係の中で作られたものを乗り越えていくというものではなく、

自分の乗り越えるものを、明確にしてくれる人のところに、生まれてくる

と解釈することができ、

そう解釈すると自分の人生をまた違った見方で見ることができるようになります。

仏教には輪廻転生という言葉がありますが、

私が気に入っている同じような考え方でこういうものがあります。

それは生まれる前に私たちは、乗り越えたい壁や、身に着けたい力を選び、

それに挑戦できるような、それを経験できるような人生を設計して生まれてくるというものです。

ちょうど、ロールプレイングゲームのように。

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身に着けたい能力を決めて、それを鍛えられるステージを自分で選択してくるというものです。

この考え方からすると、

インナーチャイルドやトラウマ、マインドブロックは親との関係で作られるというより、

それを作ってくれる親を私たち自身が選んできたという事です。

全ては自分次第という意味

「変えられるのは自分。他人は変えられない」と自己啓発本などによく書いてありますが

この親を、そして生まれる国、地域、性別、経済状況などの環境を、

自分の成長のために自分が選んで生まれてきたと思えば、

人生への向き合い方が少し違ってくると思います。

私たちはついつい被害者になりたがります。

誰かのせいにして、これは自分のせいではないと証明したくなります。

でも実は、被害者になったとしても、何も得することはありません。

それは「正しさを取るか、豊かさを取るか」という別の考え方の話になってきますので

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ここでは深くは書きませんが、

私は被害者だ、傷ついた、不幸だ、と思った時に

この考え方を思い出してみてほしいのです。

(また、「全部私のせいよ」という投げやりな考え方とも、ちょっと違うと思います。)

この人生を私が選んできているとしたら、これは何のために起こっているのだろうと。

この憎たらしい相手(笑)は、何のために目の前に現れてくれたのだろうと。

なぜ、同じようなことが繰り返し起こるのだろうと。

ただの被害者になり、正当性を主張するために行動するよりも

おもしろい生き方ができると思います。

なぜ、自分はこんなに不幸なのか、なぜ自分ばかりこんな目に合わなければいけないのか、

それは、自分ならできると考えた自分自身が設定してきたから。

神様は乗り越えられる試練しか与えないとどこかの宗教で聞いたことがありますが、

私は神様がといわれるよりも、自分が選んだというほうが、面白さを感じます。

どうせ出ない答えなら、面白いほうを採用したらいいんです♪

ちょっと覚えてないけど、自分で挑戦してみようと思ったんだから、

やってやろうじゃないの♪

人生を被害者として生きるのも、

楽しく豊かに生きるのも自分次第です。

全ては完璧であるの全ては、自分以外の人も含んだ、本当にすべて

これは、自分だけではなく、

親を含めたすべての人が同じように自分の設定したステージを生きていると考えられます。

何か試練に直面している人に対しても、それで心を痛めるのはお門違いと言うものなのです。

何かをしてあげたい、助けてあげたいと思い煩う事、

それ自体が余計なお世話なのです。

「全ては完璧である」とはきっとそういう事です。

私の今の課題は、「教えてあげたい」という欲求を手放すことかなと思いますw

こう考えればもっと自由に生きられるのに

特に近しい人に対して、どうしても抱いてしまう「伝えたい・教えたい」という気持ち。

でも、それはその人が乗り越えようとして、用意してきたイベントだとしたら、

例えば私が代わりにやってしまったら、

その人はまた同じことを繰り返さないといけなくなるでしょう。

自分で乗り越えるために。

それに、何かしてあげたい!と強く思っているときほど、空回りして

相手に伝わらないことが多い気がします。

私自身「すべては完璧である」という事をもっと腑に落として

何かしてあげたい!という気持ちを手放すことができたときに、

きっと、その人にとって大きなヒントになるような一言を、ぽそっと言えたりするのかな…

なんて今は思います。(↑まだ伝えようとしているw)

それは、シンクロニシティーや中庸のお話しになってくるので

また別の記事に書きたいと思います。

 

ではでは。

 

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