正しさを取るか豊かさを取るか|判断基準を変えてみることで幸せになろう

つれづれessay

こんにちは。千田紗知子です。

突然ですが、正しいことをしているのに、辛いという経験はありませんか?

  • うそをついてはいけない
  • 正しいことをしましょう

などと言われて私たちは大人になります。

それは間違っていません。正しいことです。

でも、正しくあろうとして頑張っても、幸せになれていないと思う事はありませんか。

それは、「正しくある事」と「豊かである事」は両立しないからなんです。

はじめてこの言葉を聞いたときには、混乱しました。

それまでの私はいつも「正しさ」を選んできたからです。

私はクラスでよくいる「優等生タイプ」。

どちらかと言うとあれでした。

幼いころ父と姉とプロレスごっこをする時にも、

怪獣と化した父に姉がつかまり、「助けてー」と言うと、私は身を挺して助けに行き自分がつかまる

みたいなことをして、「紗知子は正義の味方だからね」なんて言われていたのを覚えています。

だから、初めてこの事実を知ったときには

まじか~・・・とちょっとしたショックを受けました。

でも、それから「正しさを取るか豊かさを取るか」多くの場合その2つは両立しないという事を証明するような出来事に多く気付けるようになりました。

相手に対しても、自分に対しても、正しさを取った結果

辛くなってしまっている人はとても多いと思います。

今日は、正しさを取るか豊かさを取るかは、自分次第ということ。

そして、豊かさをとってもいいんだよ、という事を書いていこうと思います。

正しさより豊かさをとる事は自己中ではない

「正しさをとるか、豊かさを取るか」という言葉に出会った時に

多くの人は、正しさを取るほうが正しい気がしますw

「俺は豊かさを取る!」と言う人がいたら、

その人のことを自己中心的で、自分勝手で、悪い人だ!とすら感じませんか。

それは「正しさ」の反対にあるのが「間違い」や「誤り」であったり、

「正義」の反対は「不義」、

「正義の味方」の反対は「悪役」というイメージだからだと思います。

「正しさを取らない」こと=「悪いこと」そんな風に感じてしまうからかもしれません。

しかし、ここで言っているのは

正しさを取らないこと=悪いことをするという事ではありません。

正しさをとる事は豊かさをとる事にならないというメッセージです。

正しさを取っているだけでは、いつまでも豊かにはなれないのです。

豊かになりたいと思ったら、豊かさを取っていかなければ^^

そもそも同じ土俵ではないのです。

正しさを取るか豊かさを取るかと言われて、どっちが正しいかを考えてしまう人は、

正しさを取っている人です。

豊かさを取る人は、正しいか正しくないかは、問題ではありません。

では逆に「豊かである事」はどんなことでしょうか。

  • お金をたくさん持っていること
  • 大きな家や高級車を持っていること
  • 友達がたくさんいること
  • さまざまな場所に旅行に行くこと
  • 美味しいものをたくさん食べること
  • いつもリラックスして落ち着いていること
  • 沢山笑っていること
  • 健康であること

思いつく「豊かである事」の逆を考えてみてください。

豊かでない=正しくない とはならないはずです。

正しさを取ろうとすると、悪にはならないかもしれないが、豊かでもない

豊かさを取ろうとすると、正しいかもしれないし正しくないかもしれないけど、豊かにはなる。

 

私がショックだったのは、

正しさと豊かさは、多くの場合両立しないという事実を突きつけられたことでした。

ずっと正しいことをしていれば、幸せになれると考えていました。

でも幸せになりたければ、豊かである事をしていかないといけなかったんです。

 

正しくある事を追及すると、豊かではなくなる

「反戦運動」と「平和運動」

戦争を嫌うあなたはどちらに参加しますか。

正しさを選んでいる人はどちらに参加すると思いますか。

この二つの運動の結果、より平和になるのはどちらだと思いますか。

 

正しさをとる事は、豊かさをとる事と両立しないというのは、

正しさの先には対立があるからかもしれません。

そもそも何が正しいのかは、その人の価値観や状況、お国柄、社内文化、親の教えなどにより変わります。

自分にとって正しいことが、相手にとっては正しくないというのはよくある事です。

自分にとっての正しさを取ると、その先には、違う考えの人との対立が待っています。

誰かと対立、つまり戦っているときに、そこに豊かさは存在できなくなってしまうのです。

 

なんでもしていい状況になったときに、

誰かをやっつけてやろうと思ったり、悪いことをしようと思う人は、

「正しさ」を選んでいると言えます。

あいつは、自分にこんなことをしてきた、復習されて当然だ。

私はあの子より恵まれていない、不公平だから、いじめて(いじめられて)いいんだ。

私は正しい、間違っていない、だって…

これは豊かな状態ではありませんよね。

正しさと取らないことは、悪いことをする事にはならない

正しさではなく、豊かさをとる事は、決して悪の道を選ぶことではありませんw

自分が豊かな状態や豊かな気持ちになる事を選んでみてください。

仮に法律もルールもない状態で、

豊かになることを選んでみてくださいと言われたときに、

悪事を働く人は少ないと思います。

逆に悪いことをして、人を傷つけた状態で、豊さを感じられる人は少ないはずです。

豊かになることを選んでみてください。

自分のために

  • 部屋をきれいにする
  • ゆっくりと紅茶を入れて窓辺で本を読む
  • 日差しの中、公園にお散歩に行く
  • 自分の才能を生かしてお金持ちになる

誰かのために

  • 電車で席を譲る
  • 泣いている赤ちゃんに笑顔を向けてみる
  • いつもありがとうと言ってみる

その時、正しいかどうかは考えなくていいんです。

どうですか、イメージするだけで、ちょっと幸せな気持ちになりませんか。

豊かどうかを自分の判断基準にしてみる

正しさを取らずに、豊かさを取るという事が、間違ったことをすることにはならないと

ここまでくどいほど説明してきました。

何となく、伝わっていますでしょうか。

今後、何かの選択をしなければいけないときや、何かに迷った時に

正しいか正しくないかで決めずに、

どちらが豊かかで、決めてみてください。

正しいかどうかを基準に判断したときには、

正しさは選べますが、豊かさは選べません。

でも、どちらが豊かで判断したなら、もうすでにあなたは豊かなはずです。

まとめ

自分の判断基準を客観視してみる(正しいか正しくないか、平等かどうか、損か得かetc… )

判断基準を少し変えてみる(豊がどうか、楽しいかどうかetc…)

こんなことで、今まで見えていなかったところが見えてくるかもしれません。

これも一つのパラダイムシフトです。

正しさの眼鏡をはずして、豊かさの眼鏡をかけてみるのです。

疲れちゃったときに、ズル休みして、ゆっくり美味しい珈琲を飲む。

ズル休みは正しくはないかもしれません。

でも、ムリして頑張って、イライラして周りに当たり散らしてさらに疲れ果てるよりも

ずっと豊かじゃないでしょうか。

ズル休みを進めているわけではありません。

なるべくたくさんのひとに、少しでも豊かになってほしい。

正しさを選ばなくてもいいんだよというメッセージが届いていれば嬉しいです。

正しさを取るか、豊かさを取るか、それはあなたの自由です。

 

ではでは。

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