今回は英語の成績が悪かった私が、高校卒業後アメリカの大学に留学を決めた理由についてお話ししたいと思います。
私は小、中、高と英語がダメダメでした。
小学生の頃、「ローマ字を覚えると英語を覚える時に支障がでる」などとどこかで聞いたために、
ローマ字は覚えないほうがいいと勝手に解釈しました。
そのため、ともこちゃんという友達に、メッセージカードを書いたときに
“TOMEKO” と書き、ともこちゃんがそのカードを上級生に見せたところ事実が発覚し、赤っ恥を書いたこともありました。
アルファベットにも慣れず、英語の授業はどんどん進んでいくけど、一向に上達しない日々が続きました。
苦手意識を抱えたまま、高校に上がりました。
高校では英文法だけのクラスではちょっとだけ成績を上げることができました。
感性とニュアンス読解力には自信のあった私は、国語は得意だったのです。
日本語の文法も、「全く…」の後には、「…ない」と続きます。
言わば、ルールです。
英文法も、テストに出るところのルールを覚えればよかったので、英文法のクラスでは良い成績をとることができました。
しかし、文法以外の英語(単語、文章、読解力、会話など)では、成績はダメダメのまま。
英会話なんてとてもじゃないけど、ムリ!
それなのに、進路を決定するときになって、「留学します」 なんて言い出したので、
当時の英語のS先生には「私は反対です!」と何度も思いとどまるよう説得されました。
ちなみに成績の良かった英文法の先生には、「あなたなら大丈夫よ♪応援するわ~」と言われました。
そんなに英語がダメダメだった私がなぜ留学という道を選んだのか その理由①
中学生の頃通っていた塾で、「赤毛のアン」を字幕で見るという時間がありました。
英語の先生は、「th」や「r」などの発音も丁寧に指導してくれていましたが、
日本語で話したほうが通じる人ばかりの環境で、
英語を母国語としない人たちが、
特に伝えたいと思っていない内容を、
不自由な英語で話す
というどうしても陥りがちな英語の時間の状況に違和感を感じるばかりで、
全く身に付きませんでした。
ところがこの「赤毛のアン」を字幕で見るという体験で、
私の中に初めて真剣に「英語を話せるようになりたい」という思いが生まれました。
一番の要因は、音のきれいさでした。
また夢見る少女のアンが、英語の詩を感情をこめて朗読し、そのサウンドに酔いしれるシーン、
名前のAnnの最後に、e をつけることにこだわるシーン等を見て、
私の感性とニュアンス読解力に火をつけたのです。
まず耳が英語のサウンドを欲しがるようになりました。
でも、それまで英語がダメダメだった私は、知っている単語も少なく、なかなか上達しませんでした。
中学三年生で、girl が読めない そんなレベルです。
。。。やばい笑
その後高校に入ってからも先ほど話した通り、英語はなんとか中の下くらいの成績をとれるくらい。
そしてこのころの私は、気づき始めていました。
私は日本にいては英語は話せるようにはならないだろう。という事を。
同時に、私は英語を話す環境に身を置けば、すぐに話せるようになるだろう という自信がありました。
実は中学の「赤毛のアン」との出会いの頃に、親に「留学したい」と言ってみたことがありましたが、
「高校までは近くに置きたい」と言われ、あまりそういう指示を出されることがなかったので、何となく納得し、
普通に、日本の自宅から通える高校に進学したのです。
でも、それなりに楽しい高校生活の中で、私は英語を話す環境に身を置けば、すぐに話せるようになるだろうという思いは、
確信へ変わっていきました。
文法は頑張れば誰でもそれなりに覚えることができます。あと足りないのは、感性とニュアンスだ!と。
そんなに英語がダメダメだった私がなぜ留学という道を選んだのか その理由②
高校ではもう一つ、私の将来の方向性を決める出来事がありました。
理系にいくか、文系にいくか
私は、国語の成績は良かったので、もちろん先生方には文系を、それはそれは強くおすすめされました。
が、
動物が好きで、人間は、生命はどうして生まれたのだろう、どう進化してきたのだろう、
こういう行動をとるのには、進化の過程で獲得してきたこんな性質があるからなんだ!
など、生物全体にとても興味が出てきていた私は、
先生方の反対を押し切り、成績の悪い理系の生物に進んだのでした。
私の夢は獣医さんか、動物保護区で働く人 でした。
そして、生物学や獣医学はアメリカのほうが進んでいるんじゃないか、
動物保護区で働くなら、どこに求人が出ても応募できるように英語が話せたほうがいいんじゃないか、
だったら、
生物学で留学したらいいんじゃないか!
と、なっていったわけです。
あとはあまりモノを知らなかったので、日本の大学入学後にも交換留学や編入などの制度がある事は知りませんでした。
もしかしたら留学をいたく反対してくれたS先生は、教えてくれていたのかもしれませんが、ほとんど聞いていなかったのだと思います。
勢いのついた私は、もう留学することしか頭にありませんでした。
生物学の大学もいくつか見学に行きましたが、「留学できなかったらね」と無意識に考えていたんだと思います。
留学に敏感になっていた頃に、留学をサポートしてくれるサービスを見つけて、一気に留学への道を突き進みました。
みんなが受験勉強をする中、私は小学校からの英語をやり直しました。
その頃には、日本人から学ぶのではなく、海外のテレビドラマという素晴らしい教材の存在に気が付き、最大限に活用しました。
ドラマには、感性とニュアンスがすごく刺激されました。
苦手な英単語も、努力、努力、努力。
そして、私は念願だったアメリカに向けて、飛び立ちました。
「英語と生物を一度に学べる環境」
これが、英語が苦手だった私がアメリカの大学に留学した2つの理由です。
結果として、私の読みは当たっていた。
それでも留学して数か月は、ほとんど会話が成立しない状態でしたが、
ある日、相手の言ったことに対して、英語で質問ができるようになりました。
それから、コミュニケーションが徐々にとれるようになり、
英語が話せるようになるためには、英語を話す環境に身を置けば、すぐに話せるようになるだろう という読みは当たっていました。
そんなに、すぐに ではありませんでしたが…。
日本で小中高と勉強しても身につかなかった英語が数か月で、アメリカ人とある程度会話ができるというのは
すぐに だったと言ってもいいかもしれません。
今では、道を聞かれても、飲み屋で隣に座った外人に話しかけられても、日本語と同じように会話ができます。
やはりその環境に身を置くことが早いと思います。
留学したいけど、英語が苦手で悩んでいる方は、すぐに留学してしまいましょう♪
ここからは余談ですが、
もう一つの理由、「生物」に関してですが、私は獣医にも保護区で働く人にもなりませんでした。
留学中に、美術に出会ってしまったからです。
アメリカ人の中にひとり日本人がいるのですから、個性が光ります。
もともと器用で、図画工作が得意だった私は、「すごいのが入ってきたぞ!」と注目され、
気をよくして、アートにも没頭していくのでした。
成績が良いともらえるスカラーシップ(返済不要の奨学金)も、アートへの道を後押ししました。
生物が好き!というだけで、頭は文系だったので、生物の成績はあまり良くありませんでしたw
生物だけならスカラーシップはもらえなかったと思います。
そして生物と美術、両方を専攻することになります。
(この間、どちらにしても、普通に生活しているだけで、私の英語力はぐんぐん上達していきます。)
両方を専攻することができたもの、アメリカの大学だったからです。
分野こそ、「生物」ではなくなりましたが、
世界中どこにいっても活躍できる「英語」という強いツールを手に入れることができました。
現在、ジュエリーアーティストとして活動している私ですが、「生物」を忘れたわけではありません。
私の作っているジュエリーは動植物を忠実に再現したものが多いです。
絶滅危惧種をモチーフにしたジュエリーライン、somewhere around the globe では、
世界の野生生物のために売上金の一部を寄付しています。
自己紹介を兼ねて、アメリカの大学に留学した理由をお話ししましたが、
留学に興味のある方に、少しでも参考になればうれしいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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